2007年06月02日

F1の”死”とそれに学ぶもの

ZARDのボーカルだった坂井和泉さんがお亡くなりになりました。
坂井さんは病院の階段の手すりに座って転落し、お亡くなりになったそうです。坂井さんはガンという病気と闘っておられたのに全く違う事でお亡くなりになられました。

きっと、想像するにご無念であったであろうと思います。
ご自分の考えていた”死”と全く違う形で死を迎えられてしまった訳ですから…。

人間はどんな事で”死”に直面するかわかりません。
かの音速の貴公子と言われた”アイルトン・セナ”は、ウイリアムズに駆り、1994年5月1日のサンマリノグランプリ(エンツォ・エ・ディノ・フェラーリ・サーキット)タンブレロ・コーナーにて大クラッシュし、その4時間後に亡くなりました。

事故原因は諸説あり、裁判にもなった事なので、あえて私が口をはさむべきものではありませんが、やはり、死がどこに潜んでいるのかは、誰にもわからないし、フォーミュラワンというモータースポーツも、その”死”の歴史でもあると、言って過言でないほど、死と隣あわせのスポーツである事は否めない事は事実であります。

セナの墓碑には「NADA PODE ME SEPARAR DO AMOR DE DEUS(神の愛より我を分かつものなし)」と、記されているそうです。。。

wikipediaSenna1994.jpg
(Wikipedia)"Ayrton Senna da Silva"

しかし、そのセナの死を無駄にしないようにFIA側も、レギュレーションの変更、安全技術の研究、発達などで、今ではかなりの安全性を確保できるようになって来ています。

それでも100%というものは存在しません。

先日行われたモナコGPでも過去に、死亡事故は起きています。
1935年、L.ファジオーリは練習走行中、トンネル内の事故で、数週間後に死亡しました。

1967年、ロレンツォ・バンディーニは2位走行中の終盤、シケイン出口でクラッシュし炎上、3日後に死亡したという事故がありました。

死に至りませんでしたが、1999年ミハエル・シューマッハは、イギリスグランプリで、タイヤバリアに激突し、足を骨折して、その期は、7グランプリを欠場する事になりました。
死に至らない事故で幸いでした。

有名な事故死ではフェラーリのジル・ヴィルヌーブです。
1982年、僚友であるはずのピローニと第4戦サンマリノグランプリで、いろいろとあり確執ができてしまいました。

その事もきっかけのひとつだったのでしょう。第5戦ベルギーグランプリ予選で、ヴィルヌーブは、予選から飛ばしていました。
運悪く、その頃問題になっていた予選でのトラフィックに引っ掛かり、ヴィルヌーブは、マーチのヨッヘン・マスに接触してしまいます。

ヴィルヌーブのマシンは大破し、マシンから投げ出されたヴィルヌーブはフェンスに叩きつけられました。
フェラーリの顔としてファンに愛されたヴィルヌーブは、その夜帰らぬ人となりました。

日本でも有名な事故があります。
1998年5月3日全日本GT選手権第2戦。フェラーリF355に駆る、太田哲也は砂子智彦に乗るポルシェが前方でスピンしたのに気が付かず、そこに突っ込み爆発炎上しました。

しかし、太田は奇跡的に一命を取りとめ、その後猛烈なリハビリで、再起しました。
これは『クラッシュ』として映画化までされたので有名な話です。

F1の事故で最近のものは、ミハエル・シューマッハの弟、ラルフ・シューマッハが2004年アメリカグランプリ決勝において、最終コーナーの高速部で、大クラッシュを起こし背骨を負傷してしまいました。その期、ラルフは6戦欠場を余儀なくされました。

この事故を最後に、大きな事故はなく来ています。

と、言いながらも、結局F1でも定期的と言ってよいほど、事故が時々起きています。その度にFIAなどは対処して来ています。

しかしながら、事故が100%なくなるという事は不可能ではないでしょうか?

別に、事故を期待している訳ではありませんが、事故が起こるくらいのスリリングなレースをファンは期待しているところがあるのは事実だと思います。(事故で亡くなられた方に対しては不謹慎ですが)

モナコGPの総括でも書きましたが、現代のF1レースで事故を起こさないまでも、アグレッシブな走りをするドライバーは、少なくなってしまいました。セナ時代は既にそうだったと思います。

ジル・ヴィルヌーブが永遠にフェラーリファン(本当のティフォジ)たちから愛されているのは、そういう彼の熱い走りにあったのではないかと私は思います。そんな時代であったのだとも言えると思います。

アイルトン・セナが愛されるドライバーであったのは、そのドライビングの熱さにあったのではなく、信じられないまでもの正確なドライビングテクニックやF1に対するストイックな姿勢にあったように思いますが・・・。

どんな理由にせよ、彼らの死を無駄にしてはいけません。
セナ、ヴィルヌーブ、ラッツェンバーガーなどなど全部忘れてはならない事故だと思います。

先述のとおりドライバーにはそれぞれその人の癖があります。
100人のドライバーがいれば100通りのドライビングテクニックがあります。
ですから単純にレギュレーションやマシン改造、タイヤ改造などによるスピード抑制で、事故がなくなる訳ではないと思うのです。

F1マシンは段々小さく、スピード減速、馬力削減の方向に傾いていますが、それが単純に事故防止につながるものではないと思うのです。

無論、コスト削減による、よりコンペティティブなレースを観客に見せたいという意味もあると思いますが、見ている方は段々こぢんまりして来るマシンに何か寂しさを感じずにはいられません。

スリックタイヤでドリフトをしながらヘヤピンコーナーを駆け抜けるフェラーリマシン。
耳をつんざくエンジン音を鳴らしながらオールージュを駆け抜けるホンダV12エンジン。

世界最高峰にはフライ・バイ・ワイヤとかトラクションコントロールとか、難しい技術が必要なのでしょうが、私は昔のドライバーがドライバーらしいドライブができるマシンの戦いも見てみたい気がします。

それならインディーとか、他のカテゴリーに行けばいいじゃないかと、言われるかもしれませんが、F1は特別で、伝統的で、世界の有名自動車メーカーが技術競争をしている本当に世界最高峰の場です。

それだけに、このような希望が出て来るのです。
”死”とは大変な事です。
しかし、最近のレギュレーション改訂は、安全性を追求するだけではない改訂のように感じるという事が言いたかったのです。

今回も、私の独断的偏見意見でした。
posted by ティフォジ at 17:28| F1マシン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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