2007年10月10日

ラルフ・シューマッハ引退

言わずと知れた過去7回のワールドチャンピオンに輝いたF1ドライバーである、ミハエル・シューマッハの実弟です。

今日は、ラルフの輝かしきドライバー人生とその最後を見ながら、みなさんとお別れをしたいと思います。

兄ミハエルと同じくカート競技、フォーミュラ・フォードなどを経て、1994年にドイツF3初参戦、シリーズ3位に食い込み注目されます。

Ralf1002GP1.jpg
GPupdate"Ralf"

1995年のマカオGPでは史上初めて、兄弟で優勝の記録を達成しました。

1996年、ミハエルの勧めもあり、ラルフは舞台を日本に移しフォーミュラ・ニッポンと全日本GT選手権に参戦します。Fポンでは3勝を挙げ初代チャンピオンを獲得、マクラーレンF1 GTRを駆ったJGTCでもシリーズ2位と活躍をしました。

1997年、これもまたミハエルと同じく、ジョーダンからF1デビューを果たします。
1998年もジョーダンから参戦、17戦中10戦リタイアというドライビングの荒っぽさを見せ付けました。

1999年から名門ウィリアムズに移籍しますが、兄ミハエルのフェラーリ黄金時代でしたので、勝利することすら難しい時代でした。

そんな中、彼がF1初勝利を挙げるのは2001年第4戦サンマリノGPでした。

2004年アメリカGPで、高速の最終コーナーで大クラッシュを起こし背骨を負傷、6戦欠場を余儀なくされ、結局この年は未勝利に終わったという年もありました。

ラルフのF1キャリアにとって大きな転機となる2005年シーズンがやって来ます。彼はF1初参戦のトヨタに移籍し、第2戦マレーシアGPで5位フィニッシュ、初入賞を記録しました。
以後もコンスタントに入賞を記録し、ついにハンガリーGPで移籍後初となる3位表彰台を獲得しました。また日本GPでポールポジション、中国GPで3位表彰台を獲得するなど終盤戦でも活躍して計14戦で45ポイントを獲得し、チームメイトのヤルノ・トゥルーリをドライバーズランキングで上回ることとなりました。

昨年2006年はドライバーズポイント20ポイント10位と振るわず、今年も第15戦日本GPを終った時点のポイントは5ポイントでランキングも14位とそろそろかという噂は流れていました。

ラルフはトヨタから今季限りで離脱する事を表明しました。
「トヨタにドライバーとして3年間在籍したが、僕は新しいチャレンジを目指すことにした」と、今シーズンはずっと苦しみ続けたラルフは語りました。

「僕は大きな期待をもってトヨタに加入した」と彼は続けた。「新しいクルマやチームを作っていくという仕事に関与できるのはとてもエキサイティングな挑戦だった。でも、何年もの間、競争力のあるクルマを待ち続けていたんだよ」

Ralf1002GP2.jpg
GPupdate"Ralf"

と、トヨタの不甲斐無さを訴えた形です。

一方でトヨタ F1 チームもラルフの離脱を容認するコメントを発表しました。
ラルフの決意について、トヨタ F1 チーム社長のジョン・ハウエットは次のように語りました。

「ラルフの決定を受け入れ、彼の未来が素晴らしいものになるように願っている。基本的にはこの件がトヨタの立場を変えることはないだろう。我々は現在もドライバーマーケットの状況を見ている。今回の件はラルフが我々の候補リストの一部でなくなったことを意味し、2008年シーズンに向けたドライバーラインナップについて発表する準備が整い次第、発表を行う予定だ」

世界一の販売会社に大きく期待して加入したドライバーと、それをあっさりと裏切った会社という構図が見えてきます。私たちサラリーマン社会にもよくある構図ですね。

大企業に就職出来たからって、必ずしも夢の様な将来が待っているわけじゃない、でも、本人にも少なからず問題があったともいえるんじゃないでしょうか?厳しいですね。ドライバーはマシンの部品じゃないですから・・・。
posted by ティフォジ at 14:58| トヨタ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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